退職まで38年間よくもったものだと思っています。
私は去る金融機関に勤めていました。
そのうち支店にいたのは6年間です。
したがって金融機関勤務と言っても、それほど融資の話も預金の話もありません。
お客さんと親しくなることもありませんでした。
後の30数年は本部で勤務しました。
そのため支店長になることもなく、役職だけはまあ人並みに上がってはきましたが、
出世組とは縁がなかったですね。
退職の日は本部に呼ばれ、同僚の2人と理事長に会いました。
その月に60歳の誕生日が来て退職する人とは月末に一緒に退職する決まりでした。
そこで「あなたはどのような仕事をしてきたか」と聞かれました。
理事長も私が何をしてきたのかを把握してなかったようです。
少しさびしい感じがしましたね。
そのころは職員も千人以上になり、一人一人のことは覚えられなかったのでしょう。
せめて最後くらいは、理事長とか役員と昼の会食くらいして退職したかったですね。
都合5分くらいの退職の儀式でした。
私はその後もそのままパートで元の職場に勤めるので、
あまり区切りがついたような気がしませんでしたね。
その後人事部の副部長が退職手続きをしてくれました。
そこで3人で各部署の部長や課長に退職のあいさつに回りました。
その後年金の手続きに年金の事務所に回り、年金の手続きをしました。
後は3人での昼食です。
本店の近くの蕎麦屋で天ざるをとりました。
その後に時間もあるので、3人でベローチェでコーヒーを飲みながらの回顧談でした。
皆大病もせずに無事によく勤まったものだと。
思い出すのは失敗談ばかりでしたね。
1時間近く話し込んでいました。
それでまた会おうとそれぞれ別れました。
その日は休みになっていました。
私はカミさんと待ち合わせをしていました。
ここまで来れたのもカミさんのおかげです。
よく文句を言いながらついてきてくれたものです。
そこで退職の祝いにカミさんが金のブレスレットを買ってくれました。
いまでもつけています。
その後桜木町のアウトレットをプラプラして、私は自分へのご褒美に
長サイフと半分になるサイフとカバンを買いました。
これはドイツの製品で、ブリーのものでした。
最初は薄いピンク色ですが、使っていくうちに紫外線等に当たって、
だんだん色がついてきて、最後には飴色になるとか。
世界に一つしかないものを作ってくださいと言われました。
私としては、今までに使った結構な値段のものでした。
今でも大事に使っています。
カミさんにもなにか買ってあげようと言いましたら、60歳の時に買ってもらったからいいとか。
その後桜木町にベイスポットに戻り、息子がセッティングした中華料理の夕食です。
いつもの中華料理よりもしゃれていました。
ホテルの23階の中華料理だったので、まるでフランス料理のようでした。
カミさんとワインで乾杯しました。
窓から外の車がおもちゃのように見えました。
日頃中華街で食べるものとはちょっと違っていましたね。
上品でなにか食べている感じがしませんでしたね。
私たちはいつもの中華風の方が口にあっているねと言いあったものです。
その後タクシー券をもらっていましたので、タクシーで家に戻りました。
明日からもうどこの会社にも属さないと思うと、ちょっと寂しい感じがしましたね。