定年まで勤めて

私はある信用金庫に勤めていました。

それも約38年の勤務で定年です。定年は60歳でした。

やはりよく勤まったという安堵感とともに一抹の感傷もありました。

これもカミさんの内助の功と感謝しました。

もうこれで皆と一緒に満員電車に乗ることもないのかと思いました。

 

私のところの定年は誕生日月の末日で、その月に退職なる人は同じ日でした。

私の時には3人が同時退職でした。

最後の日に人事部長から長い間ごくろうさんで下と言われ、退職の手続きを済ませました。

 

その後に理事長に会い、今までの労をねぎらってもらいました。

あとはすべての理事に挨拶をし、

本部の部長やお世話になった方に皆にあいさつ回りをしました。

 

その後に退職の皆で年金の手続きに行きました。

そして3人で近くのソバ屋で会食をしました。

そこで今後の長生きを祈って別れました。

 

私の場合は継続してのパートの雇用が決まっていました。

これは今までの某系の会社でのパート勤務でした。

社長の裁量で1週間の休暇をいただけました。

そのためそれほど寂しいという気はありませんでした。

 

その後に今までかけていた生命保険会社に手続きに行きました。

若いころに勧誘されたおばさんがまだパートに残っていました。

まだよく覚えていました。

よく無事で定年を迎えることができましたねと祝福してくれました。

 

その後毎年年金から生命保険料を払うのはつらいだろうと

一括で保険料を払って終身保険に変更しました。

これで一通りの手続きはひとまずは終わりました。

 

後はカミさんと待ち合わせていました。

その間は喫茶店で時間をつぶしカミさんにあいました。

その後2人で横浜港未来のショールームをぷらぷらしました。

カミさんには長い間お世話になったので、なんでも買ってあげると言いました。

カミさんはあっちこっちみて首にかけるネックレスを買うことにしました。

私は退職の記念に手にはめるブレスレットを買いました。

これがいまでもはめています。

 

その後夕方になって、息子が取ってくれたフランス料理屋に行きました。

それは横浜港未来のホテルの結構高い階でした。

そこでワインを飲みながらのフランス料理を味わいました。

魚料理も肉料理もありました。

下に見える港や車のヘッドライトの帯が印象的でしたね。

 

その後にモールをプラプラして喫茶店でコーヒーを飲みました。

結構夜遅くなってタクシーでカミさんと帰宅しました。

会社からタクシーの券が出ていたのです。

長いようで短い1日だっと思いました。

 

帰宅して風呂に入って、ああこれでひとまずは終わったかとしみじみ感じました。

明日からはそれほど朝早くは起きなくていいのだと思うと変な感じでした。

その後は休暇をもらっていましたのでカミさんと一緒の温泉旅行が控えていました。

 

1週間過ぎた後はパート勤務になるのだと思いました。

これは朝は9時出社で2時の上がりです。

まあこれで老後はしばらくやっていけるだろうと思いました。






お金の心配をしないで会社を退職して傷病手当金を受給する方法

退職後も傷病手当金を受給し続けるには、
退職前から受給を開始しておく必要があります。

傷病手当金を確実に受給したい人の為に、
複雑な手続きに一人で不安にならない為の、
傷病手当金受給マニュアルがあります。

傷病手当金受給マニュアル


退職後の傷病手当金 関連記事


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

コメント

お名前 *

ウェブサイトURL