私が仕事を退職したのは、25歳の時でした。
高校を卒業してから、8年間勤めた職場でした。
私が入社したのは、とある精密機器メーカーでした。
経理に配属されました。
真面目に業務に勤しんでおりましたが、入社から2年後、経営が傾きました。
しかし、たまたま運良く親会社に統合されることになりました。
統合される際、勤務地が変わるため、たくさんの人が辞めていきました。
私はたまたま近くの本社に配属になったため、そのまま残ることになりました。
とても良い職場でした。
今までより会社の規模が大きくなり、
仕事に対する考え方も厳しくなりましたが、とても充実していました。
上司と良い職場に恵まれ、仕事は大変でしたが、勤め続けることができました。
転機となったのは、出産です。
当初は、出産後も復帰する予定でした。
まだ若かったですし、退職する予定はありませんでした。
普通に産休育休を取得し、1年後には復職するつもりでした。
ところが、実際に子供が生まれてから、大きな壁にぶつかりました。
当時、保育園の待機児童問題は、大きな社会問題として、
毎日のようにニュースで取り上げられていました。
私が住んでいる神奈川県では、横浜市、川崎市の待機児童が多く、
全国的なニュースにもなっていました。
私が住んでいたのは、その次に待機児童が多いとされている自治体でした。
子供が生まれたのは10月でしたので、10月から職場に復帰予定でしたが、
当然と言うか、保育園の空きがなく、10月に復帰はできませんでした。
保育園に入園しやすいのは、0歳児の4月からとされています。
年度の途中での入園は、空きが出ないとできないため、大変難しいと言われていました。
一度は、保育園が空いていないならばという理由で、4月まで復帰を伸ばしていただきました。
4月になれば学年が変わるため、待機児童の空きが出る可能性が高くなります。
私は、4月に復帰するチャンスにかけました。
しかし、結果は変わりませんでした。
職場からは、復帰を嘱望されておりましたので、どうするのか打診されましたが、
もうこれ以上引きずるわけにいかないという思いから、
断腸の思いで、退職を決断いたしました。
当時、まだ一歳半の子を抱え、これから養育費もたくさんかかるというのに、
退職するのは本当につらかったですが、仕方ありませんでした。
翌年から、待機児童問題が大きく取り上げられるようになり、
待機児童問題は、徐々に解消していきました。
しかし、まだまだ保育園への道は狭き門だということを聞きます。
仕事を探しているお母さんも、それだけ多いということなのでしょう。
毎年、4月になるとその時のことを思い出します。
前の職場はとても良い職場でしたし、今でも戻りたいと思うことがたまにあります。
しかし通勤には1時間以上かかり、遠かったことも決断の決め手の一つとなったため、
それ以降、連絡等は取っていません。
保育園待機児童という単語を、新聞やニュースで見るたびに、
私のような思いをする人が少しでも減ってほしいと、願って止みません。